縁起

 平安末期、京に一人の荒々しい武者がいた。
 名を、遠藤武者盛遠。院に仕える北面の武士である。



 渡辺の橋が完成した供養の日。
 この日も盛遠は、要人たちの警護にあたっていた。
 行過ぎる人や牛車の波を、盛遠の目が厳しく睨む。
 しかしその目を捕らえたのは、強盗、盗人の類ではなく、一人の美しい女性だった。
 青黛の眉に丹花のような唇が愛らしく、雪と見紛うばかりの肌に桃のような香りを纏っていた。美女と名高い楊貴妃や李夫人など、今目の前にいるこの女性に比べれば、名を聞くばかりで実際に見たこともないのだから、とたんにかすんでしまう。
 それでいて、その眼差しは芙蓉のように気高く、少しも媚びた様子がない。
 
 もう一度逢いたい一心で、女性の身元を捜した。
 しかし、わかったのは、あまりのもつらい現実であった。
 彼女の名は袈裟。かつて求愛したこともある、盛遠の従姉妹だったのだ。しかも今はすでに、同じ北面の武士である、渡辺渡の妻となっているという。
 もとより気性の激しい盛遠は、それを聞くと矢も盾もたまらず飛び出した。行く先は衣川--袈裟の母、衣川のもとである。

 


「伯母上殿、かねてより私が言ったことをお忘れか! 袈裟を妻に迎えたいと内々に申し上げたであろうに、渡のもとへ嫁がせるとは……。袈裟を想うあまりに、我が身はもはや蝉の抜け殻。この上は、人目なりとも袈裟に逢わねば納まらぬ。さあ! 袈裟をここへ!」
 と、刀を抜いて迫る盛遠に、衣川はしかたなく、袈裟を呼び寄せることを承知した。




 しかしそうは言ったものの、もし盛遠と袈裟を会わせれば、渡の恨みを受けることは明らか。かといって約束を破れば、盛遠は確実に自分を殺すであろう。悩みに悩んだ衣川は、盛遠の事には触れず、病気なので見舞いに来てほしいとだけ書いた手紙を、袈裟に送った。
 驚いて飛んできた袈裟に、衣川が差し出したのは一本の小刀だった。
 衣川は涙を浮かべながらこれまでのいきさつを話し、
「盛遠の手にかかって死ぬよりは、可愛いお前の手で……」と言葉を詰まらせる衣川。
 袈裟もあまりの事態に驚きを隠せないでいたが、母の命を守るためと、一度だけ盛遠と会うことにした。
 しかし一目会うだけのはずが、いざ会ってみると盛遠は、渡と縁を切って自分の妻になれと袈裟に迫る。
 そんなことができるはずもなく、きっぱり断る袈裟だったが、またしても衣川の命を盾に取る盛遠に、ただただ困り果てるしかなかった。




 夫を裏切ることなどできはしない。しかし、みすみす母の命を危険にさらすこともまた許されない。"貞"と"孝"との間で袈裟の苦しみは増すばかりであった。
 が、やがて、何かを決意したかのように唇を結び、袈裟は顔を上げた。
 そして、かつて盛遠の心を捉えたその気高い眼差しで、しかと盛遠の目を見据えた。
 赤い唇がゆっくりと動く。「承知いたしました」と。
「けれど、私は夫のある身。私を妻にしたければ、渡を殺してください。そうでなければ、心安らかにあなたの妻になることなどできません」
 これから家に戻り、渡に酒を飲ませて髪を洗わせ寝かせるので、密かに家に忍び入り、濡れた髪を頼りに渡の首をとってくれ、と。
 そう告げる袈裟に、自分の激しい思いがようやく通じたのだと無邪気に喜ぶ盛遠。
 袈裟との約束どおり、八つの鐘が鳴ると早速、渡辺の屋敷に忍び込み、暗がりの中、濡れた髪を探って首を討ち、着物にくるんで持ち帰った。





 しかし……何ということか。
 盛遠は自分の犯した過ちに気づいてしまった。
 月明かりに照らし出されたその首は、恋敵・渡のものではなく。
 ……愛しい袈裟の首であったのだ。



 それは、貞と孝との間で苦しむ袈裟の、凛々しい決断であった。
 渡に酒を飲ませた後、袈裟は自らの髪を濡らして、自分が渡の寝所に入ったのだ。
 寝所には、袈裟の辞世の句が残されていた。



『露深き 浅茅が原に迷う身の          

          いとど暗路に入るぞ悲しき』



 袈裟のこの決意を目の当たりにして、ようやく盛遠も自分の罪深さを知り、渡辺の屋敷に取って返すと、静かにこれまでのいきさつを告げ、自分を裁き、殺してくれと渡に刀を差し出した。
 渡はひどく驚き、顔色を失ったが、やがて、
「今更、そなたを裁いたところで何になろう。……私は出家する。僧となって、袈裟の供養をして一生を過ごそう。それで少しでも袈裟の魂が安らぐのなら、それが私の幸せだ」
 と、髪を下ろした。
 それを見た盛遠は、渡の心の深さと、袈裟への愛情に心を打たれた。
 渡のそれにくらべ、自分の袈裟への想いは、何と子供っぽく、身勝手なものであったのだろう。それは愛情などと呼べたものではない、ただの独占欲に過ぎなかったのではないか。そんなもののために、袈裟は命を失い、渡は最愛の妻を失って悲しみのどん底に沈んでしまった。自分は何と罪深いことをしてしまったのだろうか……。
 盛遠はたまらず渡に手渡した刀を掴みあげ--自らの髪を切り捨てた。



 やがて盛遠は『文覚』と名を改め、文覚は袈裟の眠る場所に寺院を建立したという。
 それが、今もある利剣山恋塚寺である。